2020年6月25日 採用担当

新型コロナウイルスの感染拡大が徐々に深刻化しつつあった2020年2月。対策の必要性をいち早く社内へ呼びかけ、行動を促したのが石川 嘉治郎です。旗振り役として策を講じた根底には「創業社員」「営業部 部長代行」という立場を超えた信念がありました。これまでの彼の歩みを振り返りながら、その想いの源泉に迫ります。

異業種で活躍する同級生たちの声が、新型コロナ対策を講じるきっかけに

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2020年6⽉現在の、当社における新型コロナウィルス感染拡⼤防⽌対策です

石川は、小中高一貫の男子校育ち。大学時含めて同級生たちとは卒業から約20年経った現在でも、頻繁に連絡を取り合う親しい間柄です。

いつも刺激や気づきを与えてくれる、かけがえのない存在――今回の新型コロナ対策について、きっかけを与えてくれたのも彼らでした。早い段階から影響を受けていた医療や芸能、スポーツ関係に従事する仲間たちの声が、大きな起爆剤となったのです。

石川「2020年2月当時、国内では新型コロナを“対岸の火事”と受け止めている人が多く、『爆発的感染などありえない』といった雰囲気でした。しかし、数週間後のことは誰も分からない。生活インフラの一部を担う私たち管理会社は、どんな局面にあっても営業活動を継続させる必要があります。『最悪の事態を想定しながら、早々に感染防止対策を打ち立てねば』と考えました」

その後すぐに、社内に対策の必要性を訴え、先導役を買って出た石川。各部署と連携・調整しながら、営業活動全般における対策を明文化していきます。そうした先回りが功を奏し、緊急事態宣言が発令された4月7日には、社内外へホームページや文書による周知徹底を行うことができました。

石川「対策をすればするほど、接客プロセスは複雑化し営業活動に支障が出る。現場からはそんな声も聞かれましたが、私自身は『やりすぎるぐらいじゃないとだめだ』と思っていたので、お互いに本音で意見を戦わせて。同級生にも時折、『もし来店してこういう取り組みをしていたらお客さんとして安心できる?』と意見を聞きながら、本質的な対策づくりを目指しました」

社外から得た有益な情報やつながりを、社内へと還元させていく。これは。常に石川が実践してきたことです。 当社が2010年からスポンサードしているフットサルクラブ「フウガドールすみだ」。監督である須賀 雄大さんと石川が、小学校からの同級生であることからはじまったご縁でした。

スポーツ支援やCS・ESの連鎖向上――外部の風を積極的に社内へ

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「フウガドールすみだ」の須賀監督をはじめ、⼩学校以来の友⼈とは、今でも切磋琢磨し合う仲間です

川崎市高津区にある不動産会社と東京都墨田区を拠点とするフットサルチーム。一見、接点がないかのように見えますが、両者が出合った2009年は、互いに「地域密着型で成長を目指すスタートアップ」。当社代表の宮川 恒雄と須賀監督は、同じ志を持つ仲間としてすぐに意気投合しました。

もともとスポーツ支援に強い関心を寄せていた宮川。「応援しながら切磋琢磨し合える関係になりたい」と、2010年よりフウガドールすみだへのスポンサーとなることを決め、現在に至ります。

石川「緊急事態宣言下にあった2020年4月には、うちの広報が音頭を取ってくれて、須賀監督と営業部とでオンライン合同朝礼を実施しました。

チームの状況を聞いたり、家でできる簡単なストレッチのレクチャーを受けたりしたのですが、『すごくリフレッシュできた』とうちのメンバーからは好評でしたね。慣れない在宅勤務を始めてまだ1週間のタイミングだったので、尚更だったと思います。

この取り組みは『両者の実質的な距離はオンラインで埋められる』という好事例にもなりました」

自身が持つリレーションや有益な情報を、ただ共有するだけでなく、「問い」として社内に持ち込み、みんなで考えながら仕組み化して定着させる。それが石川流です。

2015年より続くCSES向上委員会の発起人も彼でした。

とあるセミナーに参加した際に、ES(従業員満足度)という指標を知った石川が、社内に取り入れるべく、会を発足させたのです。

石川「当時は創業7年目。事業も社員数も一気に増え、社内の情報共有体制が脆弱化していた時期でした。ですから『CS(顧客満足度)だけでなくESにも目を向けて、それぞれを向上させることで、双方によい影響を及ぼし、結果としてよい循環が生まれる』という概念を聞いたとき、『これだ!』と」

CSES向上委員会の主な取り組みは、従業員アンケートを年2回のペースで行い、その結果を基に、社内制度や環境を整えること。これまで、『誰もがスムーズに取得できる有給休暇』の仕組みを作るなどし、一人ひとりの働き方改革を推進してきました。 営業部にいながら、全社の組織改革にも力を注ぎ、現状には決して甘んじることのない石川。根底には「よりよい管理会社を目指す」というリーダー社員としての意志がありました。

管理業務で得た信頼と自信。「もっと力になりたい」気持ちがジレンマに

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株式会社エヌアセット 営業部 部⻑代⾏ ⽯川 嘉治郎

社会人となってからの約5年間は賃貸物件の管理業務を担当していた石川。入居者・物件双方の管理をきめ細やかに行いながら、不動産オーナーとの信頼関係を長期スパンで構築していく、管理会社の中枢業務です。新卒で総合不動産会社に就職した際、あえて「一番辛い部署」を希望し、配属されました。

石川「当初は『ここを起点に、都市開発や不動産投資など、売上規模の大きい事業にいつか携わりたい』という気持ちでいたのですが、実務を重ねるにつれ、管理業務の重要性ややりがいが実感できるようになったんです。

例えば、賃料滞納者への督促業務。当時は、辛く厳しい仕事のひとつでしたが、しっかりとやり遂げれば、オーナーさんから信用を得られ、頼りにされるようになる。若手だった自分には非常に嬉しく、この上ないモチベーションにつながりましたね」

入社から1年半が経った2008年9月。勤務していた総合不動産会社がリーマンショックの煽りを受け、破綻の危機に。エヌアセットは賃貸仲介・不動産管理部門を引き継ぐ子会社として創業され、石川は思いがけず転籍することになります。その直後、親会社は倒産しました。

石川「既存オーナーさんへエヌアセットへの移管をお願いするのが、転籍後の初仕事でした。当然、破綻した企業の社員の話に耳を傾けてくれる人はほとんどいなかったんですが、『もともと石川君に任せていた仕事なんだから、君が自信をもって勧めてくれるのなら、引き続き管理をお願いしてもいいよ』と言ってくれるオーナーさんも数名いて。感激の一言でした」

その後も管理担当者として実直に業務をこなし、厚い信頼を獲得してきた石川。しかし次第に、あるジレンマに陥るようになります。

オーナーとの関係性が深くなればなるほど、不動産売買や相続などの相談を持ち掛けられるようになり、自身が持つ管理の知識だけでは太刀打ちできなくなっていたのです。

会社も、管理も売買仲介の仕事も。「辞めたい」と思ったことは一度もない

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CS/ES向上委員会で⽣まれた社内PJは15を超えます。そのひとつが多部⾨交流の「シャッフルランチ」です

石川「オーナーさんは私を“不動産のプロ”として信用して、人生における重要な相談をしてくれるのに、一人では十分にお応えすることができない。そんな自分に不甲斐なさを感じてしまったんです。

家業の経営状況が悪化して、不動産の売買を検討せざるを得なくなったときもそうでした。実家のことなのに、他部署の先輩社員に頼るしかなく。もちろん、案件自体は問題なく進んだのですが、当時を振り返ると正直、悔しさもありました」

創業以来、エヌアセットが掲げているのが、ライフスタイルの変化に応じたソリューションを提供する“生涯顧客サービスの実現”。 2011年、石川は自ら願い出て、売買仲介部門へ異動。土地、建物の売買のほか、当社が運営する「かわさき相続サポートセンター」の一員としてセミナー講師を務めるなど、実務の幅を広げ、不動産オーナーと“真の”生涯パートナーとなるべく必要な知識を身につけていきました。

「今では管理部に戻りたいと言っても、なかなか聞き入れてもらえない」と苦笑いしつつ、営業部部長代行の役割を全うする石川。管理・売買双方の業務に関わり、会社全体を俯瞰して見られるようになった今、後輩の育成により力を注いでいきたいと話します。

石川「『お客様の立場に立って、全力でベストな策を考えられる社員』をどれだけ増やせるかが、会社や本業を強くする鍵だと思っていて。

例えば、私が管轄する売買仲介部門では提案書もひな形は極力使わないように、と伝えています。お客様のタイプに合わせて、図や写真を多めにする、数式を多くするなど工夫を施した方が、内容が伝わりやすい。時間はかかりますが、お客様に寄り添う必要なプロセスだと捉えています」

好きな言葉は、山本五十六の「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」。石川自身、まずは自分の手を動かしてある程度方向性をつくり、あとは任せるというやり方で、後輩を育ててきました。

石川「自分自身、どんな業種、規模の会社でも、通用する人間でありたいし、後輩にもそうなってもらいたい。

そのためにはやはり、同世代のビジネスパーソン、私にとっては異業界で活躍する同級生たちの動向を常に意識しながら『今、やるべきこと』を見極め、自分にも周囲にも自発的行動を働きかけていきたいですね」

会社も、管理業務も、売買仲介の仕事も。「辞めたい」と思ったことは一度もないと話す石川。いつも彼の頭にあるのは「よりよい管理会社を目指す」、その一点のみです。